踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。
どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。怖がることは何もない。
それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。
だから踊るんだよ。音楽の続く限り
村上春樹 ダンス・ダンス・ダンス(上)
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私たちはそういうものとともにやっていくしかない。それらを受け入れて、私たちは生き残り、そして深まっていく
「たとえば、風は意思を持っている。私たちはふだんそんなことに気がつかないで生きている。でもあるとき、私たちはそのことに気づかされる。風はあなたの内側にあるすべてを承知している。風だけじゃない。あらゆるもの。石もそのひとつね。彼らは私たちのことをとてもよく知っているのよ。どこからどこまで。あるときがきて、私たちはそのことに思い当たる。私たちはそういうものとともにやっていくしかない。それらを受け入れて、私たちは生き残り、そして深まっていく」
村上春樹 東京奇譚集 新潮文庫
「日々移動する腎臓のかたちをした石」166 - 167頁
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その陰影の段階を認識し、理解するのが、健全な知性だ。そして健全な知性を獲得するには、それなりの時間と労力が必要とされる。
「ねえ、僕らの人生は、明るいか暗いかだけで単純に分けられているわけじゃないんだ。そのあいだには陰影というか中間地帯がある。その陰影の段階を認識し、理解するのが、健全な知性だ。そして健全な知性を獲得するには、それなりの時間と労力が必要とされる。君は別に性格的に暗いわけじゃないと思う」
村上春樹 アフターダーク
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「コミュニケーション」と「知識」についてメモ
私たちが自分について知りたいと思う事は他者を経由してしか入手されない。
たぶんそれは、知識は「ふえる」という運動態においてのみ意味があることで、「ある」という静止状態では意味がないと私が考えていることに関係があります。
「知識がある」ことは「よいこと」だと言いますけれど、それは「知識がない」人よりも「知識がある」人の方が「知識がふえる」運動が多様かつ高速で展開するからです。「知識がある」こと自体には何の意味もありません。
(中略)
何が悲しくて「自分がもう知っていること」を印字するのに手間ひまをかける人間がおりましょう。よく外国映画で、教室で騒いだ生徒に罰として、「二度とこんなことはいたしません」と黒板に百回書かせる、というようなシーンがありますね。「もうわかっている」ことを書くのは本人にとっては苦痛のはずなんです。
私たちがものを書くのは、「もうわかっている」ことを出力するためではなく、「まだ知らないこと」を知るためです。自分が次にどんなことばを書くのか、それがここまで書いたセンテンスとどうつながるかが「わからない」ときのあのめまいに似た感覚を求めて、私たちはことばを手探りしているのです。
内田樹『態度が悪くてすみません ー内なる「他者」との出会い』 角川oneテーマ21
P8-P9
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